2010年11月24日

■ 「理解してみよう」という試みが、愛なのかな。

もちろん、何もかもを「理解する」必要はないけれど、
「理解してみよう」と試みてみる意味はある。


人は、それぞれ、価値観・趣味・信条・好きなモノなどなどが違うのだから、
相手(人・モノ)のことを、100%、”理解する”ことはできないだろう。
(それこそ、悟りを開いた人を除けば!?)

だけど、相手(人・モノ)の、価値観・趣味・信条・好きなモノなどなどを、
「理解してみよう」とすることには意味がある、価値があるんじゃないだろうか?

思い込み、固定観念、偏見や食わず嫌い、もしくは勘違い、、
いや、単なる好き嫌いも、、

あなたの”それ”が、決して悪い訳じゃないけど、
「理解できない」と、最初から”×”をつけるのではなくて、

「どういうことなんだろう?」などと、一歩でも、あなたから歩み寄ってみることが、

愛や平和、もしくは、自分自身のさらなる幸せにつながるんじゃないだろうか、、



なんてね、思う今日この頃。




PS: 「理解してみよう」って思えるようになって、
「僕も、大人になったなあ」っとも思えるようになったかな。。


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