2005年10月25日

■ 身近な人の「死」に触れて。

そして、マスコミ訪問から帰りの新幹線のなかで、
「おじいちゃんが亡くなった」との連絡を受けました。


(そのため、お葬式などのために、
プライベートでのメール返信などがほとんどできていませんでした。
今日から急いで返信しています。お待たせしてすみません)


おじいちゃんは、1年ほど前から、入退院をしており、
「あと数ヶ月、、」とお医者さんからも言われていたので、
それなりに「覚悟」はできていました。

専門家(医者)から、余命を宣告されたのに、1年以上しっかりと生きた、
おじいちゃんの意志とパワーには、勇気と意志の大切さを学ばせてもらいました。



「死」に、身近な人の死に接し、いろいろなことを考えていました。

人は何のために生きているのだろう?
人生って何なのだろう?
おじちゃんは自分自身で満足な人生を生きられたのだろうか?
もっとおじいちゃん孝行をすべきだったのかも。。


「彼の死をムダにしない」といえばちょっと大げさですが、
死について、そして生きることについて考えること、

そしてその結果、「やっぱり、人生は楽しむモノだし、
死ぬときに後悔しないように生きるんだ!
毎日を、1日1日を、精一杯生き切りたい!」と決意を固められたことは、

きっと天国にいるおじいちゃんも満足してくれると信じています。



生きることは、ときとして、辛いときもある。


だけど、息もしていない、動くこともできない、もう何もできない、
冷たくなってしまったおじいちゃんの遺体に、火葬される前に最後に触れたとき、

「生きていること」のすばらしさを教えてもらった気がします。


私たちは、息をしているし、自由に動けるし、本当は何でもできるのだから。
だって、生きてるんですから!!



おじいちゃんとは、結局、一度もお酒を飲み交わすという大人のつき合いはできなかったのですが、
何十年後かに、あの世で再開できたら、一緒にお酒でも飲めたらなあ。

そして、「人生を思いっ切り楽しく、思いっ切り真剣に生きて、さすが私の孫だ!」と、
誉めてもらえるように、私はこれからも夢を生き続けます。



ryo_kamio at 04:42│ 神王のプライベート&交友録